毛利元就と庶子

毛利元就と庶子

庶子
 正室以外の子供。直系ではないとされる。異母兄弟。

今回は毛利元就と庶子についてさらりとお願いします。


毛利元就は子沢山でしられる武将でもあります。
(もっとも、権現様にはかないませんが)

反面、夫婦仲睦まじい印象も濃いです。
それは奥さんがなくなった後、側室を持つまで10年以上の歳月がかかったこと。
実際の書簡で亡き妻をいとおしむ文が多数発見されていること。
妻の死後「隠居する!」と息子たちを真っ青にしたこと。
妻の死後一ヶ月は妻の部屋にこもったといわれたり・・・
などなどの理由があります。

また『毛利三本の矢』といわれているとおり、毛利は正室の三兄弟が実に有名です。サッカーチームが引用するほど有名です。
この逸話の素となったのは還暦の際息子たちに当てた回覧(訓戒状)であり、たしかにそのときは三兄弟でした。隠し子は一人いましたが。


のち、側室をえた元就は、6人の子供に恵まれます。
 元清
 元秋
 元倶
 元政
 元康
 秀包
がのちに生まれた子供たちです。

元清は嫡男・隆元の一つ種である輝元と年が近く大変仲がよかった、といわれています。また元清の息子である秀元はなかなか嫡男に恵まれない輝元の養子になるほど、この親子は交友があります。
また秀元は輝元に嫡男誕生後、自分の後継を主張しても回りは納得したにもかかわらず本家から退く、嫡男秀就に家禄を継がせるよう輝元に進言しています。
また元清は隆景と仲がよかった、といわれており、武勇の人でもあります。
虎退治してます。

ほかにも元就晩年の子が秀包です。なんと71歳のときの子供です。
元総という名だったのを豊臣秀吉に愛され秀包と改名。
大友宗麟の娘を嫁に持ち、その影響でキリシタンとなる。
そして鉄砲の巧みと知られています。
義父が隆景であったため、知略の徒に思われることもありますが、自身は元春に次ぐ武勇の人間でありました。


このとおり。
元就の子供は大変優秀な人材が多く、当時の価値観とすればそれは大変希少なことです。
家禄争いも元就自身の教訓からか子供たちには少なくすみ、仲のよい子供たちに元就は目を細めているかもしれません。

2008年9月30日|

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